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2006.12/11(Mon)

祖母の思い出 

oshougatsu.jpg

部屋を整理してたら出てきた、古い一葉の写真。
これは1970年代半ばころの、お正月のスナップ。写っているのは私と二人の妹。何歳のときかは記憶が曖昧なのですが、この紫地の振袖を着たときのとろんとした感触と、うっとりと幸せな気持ちは今でもよく覚えています。

この着物と、下の妹が着ている振袖は大正生まれの祖母のもの。
私の祖母は、山陰地方のとある港町で、何不自由ない裕福な家庭のお嬢さんとして、蝶よ花よと育てられたらしい。教育熱心な家庭で、お嫁に行くまでは、鉛筆より重いものは持ったことがなかったそうです。

結婚相手も隣町の大地主の息子。女中さんがたくさんいて、家事労働をすることもほとんどありませんでした。
が、そんな暮らしも戦争が終わって一変。農地改革で先祖から受け継いだ土地のほとんどを失ってしまったそう。おまけに旦那(私の祖父)は生来のボンボン気質、他人に頭を下げられないくせに騙されやすく、つい保証人の判をつき、借金を作ってしまいます。

祖父は自分の仕事がうまくいかないと、お酒に逃げる人だったようです。家庭内のこと、経済的なこと。お嬢様育ちの祖母にはずいぶんと苦労が多い生活だったことでしょう。

母にとっての最初の子である私が生まれるとき、祖母が上京して母の身の回りを手伝ってくれていました。が、無理がたたったのか突然倒れ、右半身が不自由になってしまいます。それでも祖父との二人暮らしをずっと続けました。気難しい祖父の相手が出来るのは、祖母だけだったから。

だから、私が知っている祖母はいつも右足を引きずりながら歩き、左手だけで家事をし、喋る言葉はよく聞き取れなかった。お化粧もお洒落もすることなく、近所への買い物以外、お出かけすることもなく。が、孫である私をとても可愛がってくれました。祖父は怖かったけれど、祖母は本当に優しかった。が、この写真の頃から数年後には、玄関で転んだことが原因であっけなく亡くなってしまいました。

祖母の実家では呉服屋もやっていたくらいで、着物はずいぶんたくさん持っていたようです。そのほとんどはもう手元にないけれど、ごく少数が私の実家に残されています。
祖母が倒れたのは私のせいというわけではないけれど、子供の頃から、祖母に対する何か申し訳ないような、やりきれない気持ちがずっと心の奥底でくすぶっていました。
だから、こうして自分が祖母の着物を着ている写真があったり、祖母の着物が残されていること(先日Upした木綿の着物もそう)は、言葉にし難い、何か特別な嬉しさがあるのです。
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